《青年人网日语学习手册》第36課 ミニヤコンカの奇跡
来源:优易学  2011-3-18 6:57:00   【优易学:中国教育考试门户网】   资料下载   外语书店

本课课文

中国、四川省にあるミニヤコンカは標高7556メートル。青空に浮かぶその雄姿が、風邪にたてがみをなびかせる白馬にたとえられるほど、美しい山である。しかし、いつも美しい山だとは限らない。一旦天候が崩れると、それはたちまち荒々しい魔の山と化す。これまで、実に多くの登山家の命を奪ってきた恐るべき山である。

  1982年の春、7名の日本人登山隊がこのミニヤコンカに挑戦した。登山隊は、十分に準備を整えた上で、気圧の低い高山に体を慣らしながら、ミニヤコンカに挑んだ。そして、二人の隊員が、いよいよ頂上を目ざすことになった。

  二人は順調に頂上へ近づいていた。しかし、頂上まで後50メートルを残すばかりとなったところで、突然天候が崩れた。二人の登頂を阻むかのように、風が雪を舞い散らし、ガスが視界を閉ざした。

  二人は登頂を断念し、天候の静まるのを待って、下山することになった。しかし、天候が一向に回復する気配を見せなかった。雪洞で野営するうちに、食糧も尽き、疲労が次第に二人の体を蝕んでいた。その上、トランシーバーも凍りついて、外の隊員との連絡も絶たれてしまった。

  二人は互いに励ましあいながら、下山の機会をうかがった。数日が経過して、わずかな晴れ間がのぞいた。この時だとばかりに、二人は気力を振りしぽって山を下り始めた。

  しかし、体力を消耗しつくした二人の足は、思うように進まなかった。わずか1時間で登ってきたところが、下りるのにまる1日もかかった。そのうちに、胃が食べ物を受け付けなくなり、手足の先が凍傷のために感覚が失って動かなかった。とうとう二人は力尽きて倒れ、二人のうち一人は永久に帰らない人となった。

  だが、一人は、重傷を負いながらも、かろうじて一命を取り留めた。奇跡的な生還を果たしたその人の名は、松田広也さんと言う。

  松田さんが助かったのは、薬草をとりに来た4人のィ族の農民のお陰だった。海抜2940メートルまで下りて来た松田さんは、小川のほとりで倒れ、そのまま体を動かすこともできなかった。その時に、松田さんの耳に人の話し声を聞こえ、目の前に何人かの人の顔が現れた。のちに、松田さんの母親が「生き神様」と呼ぶ、毛光栄さん、げい明全さん、毛紹均さん、げい紅軍さんの顔であった。

  4人は、松田さんを近くの山小屋まで運び、火を起こして塩水を飲ませ、介抱した。そして、げつ明全さんと毛光栄さんの二人が、すぐに山を下りて公社に報告した。この急報を受けて、100人以上の救助隊が出動した。そして、100キロの山道を一昼夜休まず松田さんを移送し、磨西の病院に担ぎ込んだ。

  62キロあった松田さんの体重は、病院に担ぎ込まれたとき、32キロしかなかった。さらに、診断の結果、両手両足の凍傷のほか、全部で16もの病名が付けられた。まさに瀕死の状態であったのだ。早速手術が行われたが、この敏速な処置が、死の淵をさまよっていた松田さんをよみがえらせたのである。

  松田さんが助かったのは、奇跡というほかはなかった。もし、4人のィ族の農民に巡り合わなかったとしたら、また,多くの人たちの敏速で献身的な行動がなかったとしたら、松田さんは間違いなく命を落としていただろう。

  その後、松田さんは、成都の四川医学院附属病院に運ばれ、無償の手厚い治療と看護を受けて、日本に帰国できるまでに回復した。

  今、松田さんは社会復帰を果たし、元気に暮らしている。両手の指と両足を失った松田さんだが、義足がその体をしっかりと支えている。そして、同時に、中国のたくさんの人たちの愛情が、その心を強く支えているのである。

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责任编辑:虫虫

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