問7 筆者は数字を使った説明について、どのように考えているか。
1)数字を使った説明にはごまかされやすいので、信用してはならない。
2)数字は単位によって受け取り方が異なるので、説明には使わない方がよい。
3)たとえ正確にみえる数字でも、それの持つ意味を注意深く読みとるべきである。
4)けいさつが発表した数字でも、ごまかしもあるので、資料としては使わない方がよい。
問題2 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1、2、3、4から最も適当なものを一つ選びなさい。
変わった趣味をいくつももっている人に会ったので、いろいろ質問して教えられたことがある。ある単調な趣味について、そんなことが面白いのですか、と聞くと「何でもそうだが、一生懸命やれば面白い」という答えだったのて感心した。この人は趣味についてよくわかっている人だと思ったのだが、それは、趣味のみならず仕事でも同じであり、結局、人生全体についても同じなのだろうと思う。
何か面白い趣味はないかという人がいるが、一生懸命やらないのなら趣味はみんなくだらなくてつまらないのにちがいない。ゴルフでも、碁でも、釣りでも、テニスでも、何でもそうだが、下手でも一生懸命やる人と一緒になったときは、気持がよいのはだれしも経験があるところである。ボヤイたり、批評したりしながらやるのでは、本当の面白さはその人から逃げていってしまう。面白さや幸福は自分の内部から湧いてくるものであって、外部に存在するものではないからである。(中略)
そういう点からいうと、仲間の目をいつも意識している日本人は、なかなか一つのことに熱中できない。周囲から何かいわれるのが恐いので、それへのいいわけを考えたり、逃げ道をあらかじめ作ったりするので、熱中する幸福は知らないまま一生を終わってしまうのが普通になっている。それだけならまだよいが、時には他人にも同じことを要求して何かに熱中している人がいると、いろいろそのアラ探しをする。アラとして出る理由は、仲間への交際が粗略になっているというのがいつも第一で、仕事をしていないのではないかというのが第二である。
そういう空気のなかで生活すると、人はだれでも知らずなうちに、
(1)弱者演出
(2)被害者演出
(3)不器用演出
をいつも心がけるようになる。日本人社会で暮らすのに忘れてはならない三種の神器はこれで、人と話をするときは「私なんかグノですよ」とか、「いつもいいようにやられてばっかり」とか、「失敗ばかりでそんな余裕はありません」とかを必ず三分間に一回ぐらいはいわないとうまくいかない。
栄進のお祝いをいわれたときでも「三流社会ですから部長になったといっても実態はヒラと同じですよ」とか、「ムリヤリ引っぱり出されて委員になっただけで、五里霧中です」とかの返事をしないといけないことになっている。これはもう礼儀の一種であり、たくさんの人が反復使用するので磨きぬかれて、ほとんど芸術作品になったようないいまわし方ろある。
これは、対人関係円滑化の技術としては確かに有効だし、アメリカ人でもときどきはそういう会話そする。しかし決してホンキでそう思っているのでないところは、日本人として学ばねばならない。多くの日本人は演出を重ねているうちに、それが本当の自分になってしまっている。
問1「人生全体についても同じなのだろう」とあるが、ここで筆者の言いたいことは何か。
1)この人は趣味をたくさんもっているから人生を楽しんでいることだろう。
2)一生懸命やれば何でも面白いということは人生についても言えるだろう。
3)この人は変わった趣味をもっているから生き方も変わった人なのだろう。
4)人生についてもこの人から教えてもえば面白くなることがあるだろう。
問2「本当の面白さ」とあるが、趣味の「本当の面白さ」について筆者がどう考えているか。
1)趣味というのは、熱心にやればやるほど本当に面白くなるものだ。
2)趣味を本当に面白く感じるのは、上手な人といっしょにやるときだ。
3)他人から勧められてやり始めた趣味は本当に面白くなることはない。
4)趣味というのは、批評しながらやらなければ本当の面白さがわからない。
問3「他人にも同じことを要求して」とあるが、どのようなことを要求するのか。
1)趣味でも仕事でも一生懸命にやること。
2)周囲の幸福そうな人のアラ探しをすること。
3)何かに熱中したりしないようにすること。
4)現在の趣味の面白さについて話すこと。
問4「そういう空気」とあるが、どのような空気か。
1)弱い人を周囲の人が助けてあげるような空気。
2)仲間とな交際をいいかげんにするような空気。
3)熱心に仕事をしない人が批評されるような空気。
4)何かに熱中している人が嫌がられるような空気。
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