自分のものだとしても、死んだ後では、所有権を実際に自分で主張することはできない。
法的には、そこはどうなっているのか。それを私は、実は知らないのである。職業柄、年中扱っている「もの」の、所有権が不明である。そんなことで、よく仕事が勤まる。そう怒られそうだが、無論常識的には、死体は、遺族のものである。
しかし、ちょっとご想像いただくと分かるはずだが、遺族というのは、しばしば単数ではない。遺産相続の場合なら、子供にはすべて、平等の権利があるはずであるか。そんな議論は、聞いたこともない。
こういう議論自体が不謹慎だ。ひょっとすると、そうお考えになる方があるのではないか。もしそうなら、私としては、たいへん我が意を得たことになる。不謹慎であるとか、世の中乱れるとか、人心に与える影響を恐れる。こういった、かならずしも明確に定義できない常識が、死体にかかわる多くの問題の背景となっているからである。
こうした常識を考え、それと戦うことは?決して容易ではない?私は死体を扱うのが仕事だから?そうはいっても、それを考えざるをえない。したいをめぐって、しばしばトラブルが生じるからである。
こうした漠然とした常識.それの背景をしるためには、じつは日本の文化そのものを追究せざるを得ない。私の仕事は、いつの間にか、そういう方向を向かいてしまった。
遺族だって、決して明瞭ではない。しばしば複数の遺族が出現することがあるからである。東京に住んでいる遺族が親の解剖を承諾したが、田舎から出てきた遺族がそれに反対する。こういう例も多い。すでに解剖が始まっているときに、「私は解剖するとは聞いてなかった、実は反対だ」という親族が現れる。これは、われわれがいちばん困惑するケースである。
事前に十分に調べろといったって、よその家族の事情だから、それは困難である。解剖を承諾しますといっていただくだけで、当方としてたいへん感謝している。そこを押して、「お疑いするようでもうしわけないが、もしかしたら、田舎のご親族で、解剖に反対の方がおられませんか」。そんなことを、きけるはずがないではないか。
遺族に私が殴られたりするのは、こうしたケースである。仕事の上だから、別にどうということはないが、250年の歴史を持つ解剖ですら、この国では、必ずしもきちんとした市民権を得ていないことが、よくわかる。
注1遺族:死んだ人の家族や親類
注2遺産:死んだ人が残した財産
問い1文中の1~7の問いに対する最も適当な答えはどれか。1,2,3,4から一つ選びなさい。
1、「自分」とはだれか。
1)死んだ人
2)死んだ人の親
3)死んだ人の子供
4)解剖する医者
2、「もの」とは何か。
1)法律 2)権利 3)死体 4)職業
3、「怒られそうだが」とあるが、だれが怒られるのか。
1)死体 2)筆者 3)遺族 4)子供
4、「そんな議論」とは、何についての議論か。
1)死体を分けること
2)子供を分けること
3)遺族を分けること
4)家族を分けること
5、「それ」に含まれる内容として適当なものは、次のどれか。
1)明確に定義できない常識
2)自分の仕事のやり方
3)死体をめぐるトラブル
4)死ぬことの意味
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